自然とともに暮らして生活をしているので、時には災害に合うこともあるでしょう。宇宙の中にある大自然は文明社会の動きとどこか比例していくわけで、ぼくらが私達が生物的に変化しているのと似ているのかもしれません。昨日好きだったことが明日同じような感情でいれるかどうかは本当はわからないという不確実な時代をどう乗り越えていけるかとない頭振り絞って生きています。細胞が入れかわるぼくらはみえない戦争を1秒ごとに繰り返している。永遠なんてみえないけど、終わりが見えないことが本当は怖くて、だからこそぼくは終わりのあるロマンに憧れてきたのかもしれません。文学が魅せてくれた終末思想は果てしなく遠いところを歩いてきたものにだけ訪れるのでしょうか。誰かが孤独というより孤高であれと話していたが、ひとりでもふたりでも多数でも、もう大多数でも、ある時期のぼくではないのであり、その存在の儚さが限りあるアイウェアを輝かせるのであれば、それはそうとしてシャドウであろう。いつのまにか毎日欠かさず文章というものだけには心を許してきた。自己実現や表現というよりは丸裸になるだけでいいいと誰かが教えてくれたからだと思う。そう裸で生活していれば、きっと変わり続けた細胞のなかの最期まで残ったヤツがめがねに光与えてくれる。その瞬間に立ち会うことに精一杯のめがねを贈ろう。