この時間に違うめがねを身につけて、呼吸を整える。
今日出逢えてお話しできた人とのことを振り返る。少しして、子供のテレビ観てる姿を眺める。ぼくもこうだったのかと考えてみると、不思議なことに今現在の感覚が残像を追い越し、リアリティーは過去形の放つ花をも記憶していってる。どこからか、そう宇宙との果てしなくロマンある声があらゆる人に同化してやってきた。生命は時空を掛け算した後に浮遊し続けた証なのかな。言葉は現象を追ってはいけない。逃げるなにかに解放の場が必要なんだろう。めがねは多分そういう時もみえないもものをみようとしている。ドクトルジバゴ…9月は忘れ得ない季節となって早足に秋の訪れを待つ人々のことを待つ。月は美しくとても艶やかな9月なのだから。