やーさん。幼い頃からやんわりと周りでボディーガードしてくれてきたやーさん。世界のあらゆるところに現れて影ながら政治家より早く、天災などの時は実は縁の下の力持ちでもあるやーさん。みんな恐れたりしてるけど、実は裏から見るこの世界の構図はやーさんがいちばん未来予想図を描いているのかもしれない。祖父は画名とやーさん名があったらしい。祖父を知ってる旧友のNさんは言っていた。中洲にみんな友人後輩を引き連れていき、キャバレーに入れば、今まで演奏していた曲を止めて、美空ひばりさんの「りんご追分」がかかっていたと話してくれた。祖父は画家でもあり、立派なやーさんだったと思う。祖父と父と初めて飲んだのは小学校6年生。黒田さんが弾くピアノラウンジだった。12歳の割にはませていた僕は入店するといきなり、祖父に座れと言われテーブルにつくと、いきなりブランデーグラスにお酒を注がれて、乾杯をした。お酒の味は正直幼稚園の時に赤玉ポートワインを嗜んでいたため乾杯には何の違和感もなかったが、乾杯の後にいきなり祖父のビンタが飛んできた…やーさんと祖父。きちんとシンクロした瞬間だった。ついで弟にもビンタをした。一発の重み。あれを経験してるからこそ、その後のあらゆることに動じなくなっていったのかもしれない。お酒の味よりも酔うと心地よい空間現れて、黒田さんのピアノ今でも覚えている。その頃の街にはあちこちに呑んだくれて倒れてる酔っぱらいがいた。決して昔話を懐かしんでるのではなく、世の中がサイケデリックであったということ。だって小学生がラウンジでブランデー飲んで街歩きして帰るってくらいに時代に余裕があったということ。コロナウイルスで夜の街に活気がなくなってるみたいですが、よくよく考えたらもっと厳しい時代でも人々は繁華街とともに明日を形成しようとしていた訳で、いつからこんなに恐れるようになったのだろうか。やーさん今こそやーさんの上品な行いにかかってますよ。どうかお頼み申し上げます。ある人の歌からの刺激ゆえの文章。最後まで読んで頂きありがとうございます。