19歳の時、当時代々木ゼミナールで浪人していた。香椎に寮があり、親元を離れて暮らすことが初めてだったせいか、学習することに新鮮な気持ちになっていた。寮からは香椎の海が見渡すことが出来て、ちょっとだけみえる綺麗な海を眺めるのが好きだった。誰とも接触がない部屋で学ぶ予定だったけど、香椎から博多まで行く期間にウォークマン聴きながら通って行っていた。夏くらいまでは、なんとか背伸びしたクラスの授業のなかでも好きな先生の話は楽しかった。寮にはいろんなとこから来ている人たちがいて、いつのまにか気心許し、親不孝な遊びに走るようになっていた。元々音楽を好きな僕は親不孝通りにあるマリアクラブというディスコを知ることになる。最初にそのディスコに並んだ時のベース音の迫力は今でも忘れられない。瞬間何よりも音というものが持ってる魔法に取り憑かれたのだ。当時は伯父が服屋をしていたせいもあり、服が好きで、そういう意味でもディスコって、何を着ていき、何が待ってるのかって決して予定調和ではない楽しみがあった。今でもセレクトショップで買ったサックスブルーのシャツとバンダナははっきりと覚えてる。煌びやかなシャンデリア、豪華な階段、しっかり低音が聴いた音響、ミラーボールもお守りのように輝き、何かが始まり、誰かと出会う予感があったのだろう。今考えるとダサいくらいのビートで心地よく踊ってると、赤い7分そでを着た女の子が目の前に居た。帽子を目深にかぶってるせいか、どんな人でどんな顔してるかよくわからない。ただ、不思議にかかる音楽とともに、きりっした目元と口角の上がった初めて出会う見たことない美しい人だと気づいた。それでも、ただユーロビートとブラックコンテンポラリー、ブラコンの音に揺れながら踊り続けていた。彼女は僕の被っていた麦わら帽子をとり、自分の帽子を胸にそえ、その麦わら帽を深くかぶり、さわやかに笑っていた。明暗の照明の中でも、音とビートとメロディとなんやら全部がえらいことになってしまい、いつのまにか手を取り合い、腰と腰をくっつけて、チークタイムを踊っていた。自分が何者で、彼女がなんなのかわからんけど、あの空気感と感触とバイブスがずっと孤独な時があったことを忘れさせてくれた。How deep is your loveが流れる。歌ってるのはビージーズ。あのウォークマンでしか流れなかったビージーズのファルセットが麦わら帽子とバンダナのなかで、サックスブルーなライトのふたりをつくってくれた。1989年7月。親不孝な僕は親孝行な彼女にマリアを見た。そして恋をした。