すべての行動の最大の危機の時に優先順位で何を一番に持ってくるのかってこと。表向きでも、この答えにあらゆるものの真実が見え隠れするのかもしれない。言葉の端々に現れること。本音なのか?試してるのか?何かなんとなく踏み絵のよに感じとってしまえば、生ではない、666の天草四郎の過去世が浮かんでしまう。誰もこう言ってもしんじやしないやろうけど、僕は8歳の時にものすごい大きな雲の影が話しかけてきたことがある。総合グラウンドで水泳を習ってる時であった。話しかけてくるって言葉がはっきり聞こえるのではなく、雲の影に三日月の形をした目があった。もっと言えば大きなひとつ目であった。どうして現れたのかはわからない。ただ、その後も8歳時長崎の小浜市合宿でも、泳いでいる間ずっと脳にこびりついて離れなかった。合宿で親元を離れた寂しさもあるだろうが、寂しさは想像力を刺激する。悲しみにこそ強烈な記憶をインプットする力ある。必ずしもポジティブな感覚だけが、生きるバイブルになるとは思えない。だからってネガティブな感覚のままではつまらない。ひとつ言えることは、この世には未知の世界のミステリー存在するということ。そして、生きてるこの世界だけがすべてではないということ。閃きは宇宙の方向と地下世界にと真逆のバランスをも保とうとしてるのだろうか?ねえ?みな?さんどうなのでしょう?LOVE