あなたと語りかける時、あなたと言ってもらう時、
いずれにせよ、自分という存在がどこかにいってる。
入り込んで出ていって、出ていって入り込んで重なり合いは一瞬のクロスゲーム。「人生はゲーム」って南佳孝さんの歌詞にあるよに人間の本質はどこか虚しい。そのことは8歳に大きな雲の影に覆われた時からずっと離れることはない。だからって悲観することはないですが、寂しさに敏感に生きてきただけに、そういう感情の人とのシンクロを続けてきた。ぼくのいつのまにかの共鳴は己の情けなさと醜さと儚さのよな案外そういう時に出てくるホワイトバランスのほんのちょっとの部分が放つ光に反応する。ささやかななかに出てくる光が例えきえそうに微量でもその時に掴もうというあがきにこそやってくる明日があるもんだ。そういうの希望っていうのかな
だとしたら、めがね屋稼業もまんざらではない